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【書評】語彙力がないまま社会人になってしまった人へ超「基礎」編

実際に読んでみたので感想と、書評を。

 

 

 

ベストセラーの超基礎編

 

最近、書店で「語彙力」に関する本を多く見かけます。

 

この本を書かれた方は、その「語彙力ブームの火付け役」、そしてこの本はブームの発端であるベストセラー作「語彙力がないまま社会人になってしまった人へ」の「超基礎編」です。

 

「超基礎編」ということもあり、知っている言葉も多く見かけましたが、その分「日頃使えそう」な言葉、身近な言葉もふんだんに盛り込まれているという印象です。

 

そういった意味では学び始めとして良い本なのではないかと思います。

 

ではこの本を読んで思ったことを挙げていきます。

 

言葉の教養

 

タイトルの通り社会人に向けた内容で、「社会で恥をかかないための語彙」とも言える言葉が並んでいます。

 

しかしただそれらの言葉の使い方、よくある誤用例が並んでいるわけではありません。

 

その言葉の成り立ち、今の意味が発生したのはいつ頃からか、その語彙にまつわる歴史エピソードなどなど。

 

言葉に関する細やかな知識を、読み手の「興味・関心を高めてくれる」ような切り口で説明されています。中学・高校などで教え方のうまい先生の授業を聞いているような、そんな心もちになりました。

 

「社会人の学び直し」としては「語彙」というジャンル、またこの方の「丁寧な説明」はぴったりかもしれません。

 

「語彙力」は高ければ高いほどいいわけじゃない?

 

一方、僕は最近書店で「語彙力をつけよう!」という趣旨の本が多くみられるようになって、「それでいいのかな?」と疑問を感じることも少なくありません。

 

というのも、「語彙力の弊害」のようなものを日常で感じる場面がこれまでに何度かあったからです。

 

僕は読書が趣味ということもあり、「語彙」に関してはそれほど苦手意識はありません。もちろん、それが「武器になる」と言えるほど突出したものではありませんが。

 

文章を書く際に間違った言葉の使い方をしてしまったり、誤った意味で覚えてしまっている単語もあるかとは思います。

 

ただ、周りにいる「本は年に数冊も読まない」という人と比べると普段の言葉遣いに若干ズレがあるようです。僕自身はあまり意識して使っていたり、その差自体も意識することは少ないのですが、これまでに何度か「話し言葉」に関する指摘を受けたことがあります。

 

その際の指摘はどんなものだったか?

 

「言葉遣いが丁寧だね。難しい言葉を知っているんだね」でしょうか。

 

いいえ、そうではありません。

 

「小難しい」

「頭がいい奴ぶっているのか」

「そんな分かりにくい言葉を使うな」

 

などなど。

 

散々ですね笑

 

もちろん「喋り方」にも異なる部分があるのかもしれませんが、「言葉を知っていて得した・語彙力があってよかった」と感じる場面は対人関係ではあまりありません。

 

言葉は「違う」

 

若者言葉や方言。

 

こういった言葉は「違い」が顕著に現れます。

 

初対面の方はもちろん、普段接する仲でも知らない言葉や異なるイントネーションが出てくると「今なんて言ったんだろう」「方言、強いなぁ笑」など、その違いを感じます。

 

違う言葉は気になります。

耳に引っかかります。

 

方言は「地域」の違い、若者言葉は「年齢や世代」の違い。

 

周りで使われている言葉がその人の言葉になっていきます。

 

生きている場所、コミュニティが違えば当然使う言葉も変わるでしょう。

 

そしてその違いについてその言葉を聞いた人、受け取る側はどのように感じるでしょうか。

 

「面白い!」と感じる人ももちろんいると思います。

 

しかし、「なんか嫌」と生理的な嫌悪感を感じる人も案外少なくないのではないでしょうか?

 

若者言葉、カタカナ言葉

 

特にその嫌悪感を表されやすいのが「若者言葉」、そして「カタカナ言葉」です。

 

若者言葉は「気持ちを過剰に表現する」方向性のものが多く、また音の響きが独特であったり、極端に省略されたものであったりします。

 

それを聞いてより上の世代の方はどう思うか?

 

「そんな言葉は日本語にない」「チャラチャラした言葉を使うな」「馬鹿っぽい」などなど。

 

言い分として分からないことはありません。また言葉は「場所」を選ぶものであり、目上の人に対し仕事の場で使うのは適切ではないかもしれません。

 

しかし言葉には「文化」という側面があります。

 

また「昭和時代にはこう読むのが一般的だったが、今はこう読む」など音が変わる、意味が反対になる、新しい言葉が生まれる、というのはこれまでに何度も繰り返されてきたこと。

 

「言葉が変わる」は特殊なことではなく、むしろ「前提」でありそれは「人の生活の中」で行われるものだと思います。

 

そう考えると、「間違った意味の使い方をする人に会うたびにイライラする」「若者言葉を聞くたびにムカつく」というのは、むしろ「言葉を知っているから」ではなく「言葉(それが変わるものであること、誤用が広まり正統な使い方として認められることがあるなど)を知らないから」ではないでしょうか。

 

カタカナ言葉に嫌悪する

 

ごく最近「身近な人がカタカナ言葉を使っているのが嫌だ」という人の話を聞きました。

 

その人は身近な人が使う、「コンセンサス」「フィックス」などの言葉に対し「カッコつけてるだけやろ?」と感じていると言います。

 

「日本人なんだから日本の言葉を使え」とも。

 

もちろんこの「ある種の生理的嫌悪感」を抱く気持ちも分からなくはないのですが、この人の言い分が完全に筋が通っているとも思えません。

 

ではその人は「コミュニケーション」という言葉よりも「意思疎通」という言葉を使っているのでしょうか。

 

「オッケー!」とLINEで送られてきたら「OKじゃなくて『いいよ』って日本語で言えよ……」と感じるのでしょうか。

 

「馴染みがないから変な感じがする」のではないでしょうか。

 

それが馴染んでしまえば「バイト」も「やばい」もなんとも思いません。

 

流行り始めの言葉は確かに耳慣れないし、一部のコミュニティの人が使っているもの(いわゆる業界用語など)を一般の人が使うのは「背伸びをしている」行為ともとれるかもしれません。

 

しかしその度に「耳慣れない言葉に嫌悪する」「自分の使っている言葉が正しいと思っている」人というのは、果たして「正しい言葉が使えている人」なのでしょうか。

 

語彙を増やすと

 

この本を読んで「そうか!こんな丁寧な言葉があるのか!」ということを知るとすぐにでも使いたくなります。

 

しかしその言葉を使った時、それが「あなたにとって馴染みがない言葉」であるだけならまだいいですが「相手にとっても馴染みのない言葉」であったとしたらどうでしょうか。

 

もしそれが「素直な後輩」であり、「すみません、それはどういう意味の言葉ですか?」ということを聞いてくる人なら問題ないと思います。

 

「いや僕も最近知ったんだけどね……」と教えてあげると喜ばれるかもしれません。

 

しかし、それが上司であれば?

 

いくらそれが「正しい言葉」「丁寧な言葉」であったとしても、知らなければただの「音」。「社会人として知らなければ恥ずかしい」という類の言葉であっても、こういった語彙力の本が売れているというのはそれだけ「求めている人がいる」ということであり、それは「社会人として知らなければ恥ずかしい、と言われる言葉であっても案外知らない人が沢山いる」ということになります。

 

結果、それは相手に「知らない言葉だ」と思わせてしまう、「恥をかかせてしまう」行為に繋がるかもしれません。

 

そういった経験が積み重なると、その人は「僕は知らない言葉が多いのかもしれない」ではなく、「あいつ、難しい言葉ばかり使いやがって。生意気なやつだ」と捉えられるかもしれません。

 

語彙を学ぶ目的

 

もちろん、僕自身は「使いこなせる言葉」の量に関しては「少ないよりも多い方が圧倒的にいい」と感じています。

 

これは僕が「文章」を書くからであり、言葉に対して興味が強いからです。

 

対人関係で「恥をかくから」というモチベーションはありません。むしろ、「違う言葉を使う」ことで恥をかいてきた身ですから(笑)

 

社会人として恥ずかしくない言葉を使いたい

 

という気持ちは大切なものだと思います。そう感じる人は「働く大人」としての向上心や責任感も強いのだと思います。

 

でも僕は、「語彙力を増やさなきゃ」あるいは「自分は語彙力がない」というコンプレックスや引け目、焦りはいいものにつながらないようにも思うのです。

 

この本を読むと、改めて「言葉って面白いな」と感じました。

 

自分の知らない言葉。知っていても「意味を取り違いえている」言葉。意外な成り立ちを持っている言葉。

 

「豊富な語彙を持つ」ということは「恥をかかない」ためだけのものではないように思います。

 

「ふさわしい」言葉ばかりを追いかけて、少し変わった言葉に出会う度「そんな言葉はない」「汚い言葉遣いだ」「それは間違った使い方だ」と切り捨てるのは、語彙力があるというのでしょうか。

 

この本を読んで、そのようなことを思いました。