どんぐり宣言!!

本の書評などなどなど。。。

【書評】「新世界」への異論【キンコン西野・本】

前回の記事の続きです↓

 

kennkoudokusyo.hatenablog.com

 


新世界

 

全体的には読んで発見したこと、考えさせられる内容がいくつかあり、「買ってよかったな」と感じる一冊でした。

 

ただその中でいくつか自分の中で「こういう考え方もあるんじゃないかな?」という別の視点が浮かんできたので、内容を踏まえつつ、自分の感想として書き残しておこうと思います。

 

信用は果たして「正義」なのだろうか

まず最初にとりあげたいのは「信用」というキーワードに関して。

 

西野さんの著書を今まで読まれた方はご存知かとは思いますが、西野さんはクラウドファンディングというシステムを例にあげ「信用されること」の重要性についてたびたび述べられています。

 

いわく「これからは信用が可視化されやすい時代で、信用される人にお金や人望が集まってくる」というものです。

 

信用される人は支持され、例えばクラウドファンディングを行うと、出資者が多く表れ、何か自分が望む企画を打つことができます。反対に「ただ顔を知られている」というだけの有名人には、お金や人気が集まるとは限らないことも西野さんはこれまでの著書で何度も述べられています。

 

本書ではさらにその信用に関して、「知名度」と「信用度」で4つのタイプに人物を分類しています。

 

そこでは「有名で、信用もある人」だけでなく「無名だが、信用はある人」にもスポットが当たるような仕組みを作りたいという自身の考えと、それを実現するための具体的な戦略を述べられています。

 

ここで僕が異論として唱えたいのは、「信用されている人が必ずしも誠実な人物ではない」ということについてです。

 

これを極端な例で考えてみます。ある国で熱狂的な支持を集める人物、国民のほぼ全員から熱烈に信用されている人物がいたとします。さて、その人は正しい人間でしょうか。

 

この例で、僕が想定したのは、アドルフ・ヒトラーという人物です。もちろん僕はヒトラーの知り合いではありませんし、歴史として語られていることがどこまで本当のことであるのか、確かめる術を持ちません。しかし仮に僕たちが歴史の授業で習うようなことが事実であったとするならば、ヒトラーは「道徳的には間違っていた(正義ではなかった)」とされています。

 

ヒトラーやナチズムの例は極端にしても、「多くの人々がある時代に信用していた人物や思想が、のちの時代においては道徳的・倫理的に間違っていると判断される」ということは、それほど珍しいことではないのではないでしょうか。

 

みんなが対象となるものを信用することで価値が膨らんでいく株価などは、ある瞬間に価値が暴落する可能性をはらんでいます。

 

あるいは「ものすごく人から信用されることが上手い人」がいて、しかしその人が実は詐欺師だったとすればどうでしょうか。

 

西野さんは「信用されること」がこれからの時代は重要であるとし、そのためにできることとして「嘘をつかないこと」を挙げています。

 

確かにそうだ、と感じる部分ももちろんあるのですが、僕にとって「信用されている人=正しい人・正直者(目指すべき人)」という図式はどうしてもしっくりこないのです。

 

同様に「正直者だから信用される」という図式についても疑問を持ちました。例えば口下手な人の場合、会話によって「こいついいやつやな」と周りの人から信用されることはあまりないのではないでしょうか。

 

いくら中身が誠実であっても、それが表に現れて伝わらなければその人に信用が集まることはありません。そして、その「中身を伝える部分」にはある種の技術であったり、演出であったり、要するに「ただ正直者でありさえすれば人から信用される」では済まされない何かがあるように思うのです。

 

正直であることだけが「人から信用される」ための条件なのだろうか。多くの人から「信用されている人」は、本当に嘘をつかない誠実な人物なのだろうか。

 

ひねくれものの僕としては、「信用のある人が恵まれる時代になった」と言われても、「果たしてその人は信用されるに足る人物なのだろうか」「信用は意図的に演出されうるものなのじゃないのか」と勘ぐってしまいます。

 

やや揚げ足を取るような読み方になってしまいましたが、僕としては、影響力のある内容のものこそ、「疑う姿勢」「別の視点を(多少強引であっても)持って読む」ということを意識して読みたいと考えています。

 

ひとまず以上が、読後の感想としてとりあげたかったことその一、「信用」に関してでした。